こんばんわー!五十嵐赤鬼です!
今回のコラム記事は、かなり“自分自身”の話になります。
正直、こういう内容を書くのはかなり勇気がいるのですが(苦笑)
でも最近ずっと考えていることだったので、
今回はあえて言葉にしてみようかなと思いました。
テーマは、
「コスプレ写真において、“カメラマンの自我”って必要なんだろうか?」
という話です。
Contents
■ 先に言っておくと、自分はかなり“前に出たい側”です
まず先に言っておくと、
自分はかなり“自我を出したい側”の人間です。
もちろん、
コスプレ写真の主役がコスプレイヤーさんであることは大前提。
でもその上で、
「この写真を撮っている五十嵐赤鬼って人、なんか面白いな」
「このカメラマンかっこいいな」
って思われたら、やっぱり嬉しいです。
たぶんこれは、
承認欲求と言われたらその通りなんだと思います。
でも、カメラマン側も人間なので、
少なからず“見られたい気持ち”ってあると思うんですよね。
■ ただ、コスプレ写真って“撮る側”が目立ちにくい文化だと思う
一方で、
コスプレ写真ってかなり特殊な文化だとも思っています。
例えば、
風景写真やポートレートだと、
「誰が撮ったか」が前に出やすい。
でもコスプレ写真って、
どうしても主役はキャラクターであり、コスプレイヤーさんです。
だからこそ、
カメラマンが前に出すぎると、
「なんか出たがりだな…」
「空気読めてないな…」
みたいな見られ方をされる怖さもある。
これは実際、
自分の中でもかなり悩む部分です。
■ “自我を出す”って実はかなり難しい
最近特に思うのが、
ただ前に出ればいいわけではないということ。
例えば、
・技術がある
・話が面白い
・発信力がある
・人として魅力がある
・空気感を作れる
こういうものがあって、
初めて“前に出る意味”が生まれるんだろうなと感じます。
だからこそ、
自分みたいに
「特別コミュニケーション能力が高いわけでもない」
「圧倒的なカリスマ性があるわけでもない」
タイプの人間は、
前に出ることにかなりの怖さがあります。
■ コラム記事は、自分が“自我を出す場所”なのかもしれない
そんな中で、
最近思うのが、
このコラム記事って“自分が自我を出す場所”なんだろうなということです。
イベント現場では、
どちらかというと自分は裏方寄りです。
でも、
こうして文章を書く時だけは、
自分の考えや価値観を前に出せる。
たぶん、
自分にとってコラム記事って、
「五十嵐赤鬼」という人間を知ってもらうための場所なんですよね。
■ 本音を言えば、“認知されたい”
これも正直に言います。
本音では、
「五十嵐赤鬼って面白いカメラマンだよね」
「なんかかっこいいよね」
って思われたら嬉しいです(笑)
でも現実は、
そんな簡単じゃない。
自分自身、
まだまだ甘えている部分も多いですし、
「もっと努力しないとな…」と思うことばかりです。
発信も、
撮影も、
人付き合いも、
全部もっと頑張れるはずなのに、
なかなか行動できないこともある。
本当に難しいです(苦笑)
■ でも、“自我”があるからこそ続けられるのかもしれない
ただ最近は、
少しだけこうも思っています。
カメラマン側にも、
多少の“自我”や“承認欲求”があるからこそ、
創作を続けられる部分ってあるんじゃないかと。
もっと上手くなりたい。
もっと認められたい。
もっと面白い写真を撮りたい。
そういう感情って、
全部悪いものではない気がするんですよね。
もちろん、
主役を食ってしまうような自己主張は違うと思う。
でも、
「撮る人自身にも個性がある」
というのは、
コスプレ文化の面白さの一つなんじゃないかなとも感じています。
■ あとがき
今回のコラムは、
かなり“自分語り”寄りになりました(笑)
でも、
普段コラムを書いている中で、
「五十嵐赤鬼ってこういうこと考えてるんだ」
と少しでも伝わったなら嬉しいです。
たぶん自分は、
これからも
“前に出たいけど、出すぎるのは怖い”
というバランスに悩みながら活動していく気がします。
それでも、
少しずつでも自分を磨いて、
「この人の写真、好きだな」
と思ってもらえるようなカメラマンになれるように精進します。
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